織田信康 / 織田信秀の弟で犬山城を築き加納口の戦いで戦死した武将
織田信康は織田信定の子で織田信秀の弟。犬山城を築上した武将です。生まれた年は不明。木下城主(犬山市)となり、天文六年(1537)年に犬山城を築いて移り、初代・犬山城主となりました。
また現在、犬山城の曲輪のひとつに針綱神社(はりつなじんじゃ)が建立されていますが、そこには信康が木下城主時代に妻の安産祈願で奉納した手彫りの狛犬一対(2匹)が現存しています。
合戦での働き
合戦では兄・織田信秀に従って、今川氏との小豆坂の戦い(岡崎市)などで戦功を挙げます。信長公記によると小豆坂の合戦で優れた働きをした者4人のうちのひとりに数えられています。
最後
天文十三年(1544)、兄・織田信秀と共に斎藤道三との戦いに出陣し、美濃稲葉山城攻め、俗に言う加納口の戦いにて斎藤軍の猛攻を受け戦死しました。
息子は反抗的
ちなみに信康の跡を継いだ信清は織田信秀に反抗的でした。信長公記の(8)犬山衆、謀反では、犬山・楽田から軍勢を出し、春日井原を駆け抜け、龍泉寺下の柏井口(春日井市)へ攻め寄せてあちこちに放火しています。
これを受け織田信秀が末盛城から駆けつけて信清との合戦になりましたが、信清率いる犬山勢は敗走します。その後、信長の代になり犬山城は落城。信清は甲斐(山梨県)に逃亡します。